9月16日のブログで、高橋れい子木彫展「越生の山と物語」に展示した作品をご紹介させていただきました。越生の人や木と出会ったことによって生まれてきたものがたくさんあり、改めてその意味を見直すことができました。
中には自分で作った物でありながら、なぜあんなに苦労してその彫刻を作らなければならなかったのか自分でもよくわからないものもあります。今回、この個展に来ていただいたお客様のおかげで、いくつもの新しい気付きがありました。それがこの作品です。
上から見ると、穴のあいた不定形の丸太。
床の低いところに置いてあるので、見に来ていただいたお客様の中には、他の作品に気を取られて、存在に気が付かない方もいらっしゃいます。
ちょっと目線を下げていくと、顔…。
題名は「ナンの面の椅子」。この彫刻は、欅を彫った作品で、縦横高さ共45cmほどの、四つの顔がある椅子です。
下から人を支えようとする仮面の彫刻です。
何かを下から支えようとする彫刻は、世界の歴史の中にもたくさんあります。地球を支えるアトラス、ギリシャ神殿の屋根を支えるカリアティード、日本の社寺の屋根隅木を支える邪鬼など、様々な姿で登場しています。
仮面の眼
「ナンの面の椅子」は、裏から見ると内側を大きく刳(く)ってあります。堅い堅いケヤキの赤身部分を、チェーンソーで削り、彫っています。それほど大きい作品ではありませんが、チェーンソーで内側を刳るのは、刃が撥ね上がってしまいやすいので、危険でもある作業です。それでもそうする必要があった訳は、顔を「仮面」にするためです。
仮面と普通の彫刻との違いは穴が開いていることです。仮面の眼や口の穴の役割は、相反するものをつなぐ通路と言われています。光と闇、意識の表層と深層、生と死、目に見える世界と見えない世界、善と悪、男と女、右と左、美と醜、高と低…等。
古代から仮面は、開いた眼の道を通って天然の力に触れ、分離されている世界をつなぎ、再生のための道を探ろうとする人間の知恵として伝えられてきたように思えます。
このアトリエ〈あゆす〉ホームページではまだ少ししか紹介していませんが、山に住んでいた14年間で最も多く心を傾け製作したものは仮面でした。
(◎「越生の山と物語」-仮面- ◎ReikoFBハロウィンの思い出 )
それぞれの目線
会場に訪れたお客様が、この作品を見る味方や反応は様々です。立ったまま見る方、少しかがんでみる方、しゃがんで見る方。まったく関心を持たない方もいれば、四つのそれぞれの顔の前に正座し、正対して一つ一つ、じっくり見て下さり「四つの顔の中で、私はこの顔が好きです」と言って下さった方もいました。
「なんで椅子に顔がついているの」
「椅子と言われても、顔の上には座れない」
「座っていいのね。ああ疲れた、どっこいしょ」
等々…。いろいろな感想や反応と出会うことができましたが、その点、お子様は何のためらいもなく、嬉しそうに腰掛けます。ふだんお父さんに肩車をしてもらったりしているせいもあるのかもしれません。こんな時、面の表情もなんとなくうれしそうに見えます。
この椅子の周りで起こるできごとを見ているだけでも楽しくなり、教わることも多くありました。
下から目線のひと
会期中のある日、この椅子の前でゴロンと横になって、頭を床につけるほど目線を低くして、四つの面を見てくれている知人の姿を見つけました。
この作品を製作したのは、’86年ごろのことです(これまでの歩み)。今回だけでなく、これまでの個展で何回か出品していますが、私が見た限りでは、最も低い位置から鑑賞して下さった方で、驚き、その姿は心に深く響きました。その方は、いつも若い人たちを明るく楽しそうに応援しているご婦人です。東京からタクシーで山奥まで来られるような方ですが、上から目線ではなく、普段からそうやって低い目線から人に接しながら若い人の成長を支えようとされていたのかと改めて感じ入り、心に明かりがともったような気持ちになりました。
その後、会期の終わりごろにもう一度会場にお出でになり、この作品をお求めくださいました。これからこの方のもとで、4つの面たちにどういう出会いがあるのかをとても楽しみにしています。
ちなみに「ナンの面の椅子」の「ナン」は、製作した当時に飼いはじめたナンコという猫が遊んだ椅子ということでついたタイトルです。
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もうひとつの目線-まなざし
↓ の三枚の写真は、個展を見に来てくれた知人のプロのカメラマンが私の作品を撮影して送って下さったものです。結核やHIVの感染症と闘う子供たち、東日本大震災の被災地などの写真を撮影されている方です。
「月の鏡」「水の精」「水の精」「家と田んぼの手」
「いのちの形」 蔦(ツタ)
「ナンの面の椅子」
送っていただいたこの写真の中の像のまなざしが、生きているものであるかのように感じられ、幾度も見ているうちに私が若いころ出会い、顔を作らせてもらった人たちのことが映像のように次々とよみがえってきました。一人一人との出会いを思い出しているうちに、別々のものだった一つ一つの作品に深いつながりがあったことに気がついてきました。
22歳の時に彫刻を始めるきっかけとなった、老いた祖母のまなざし(→ひとつの眼)から今日まで、素材や表現方法は変化しても、〈目線とまなざし〉を表現するという、ひとすじの道を私は40年間歩いてきたのかもしれないと思いました。それが、生死、美醜をこえたものでありたいという願いから、自分の日常生活の枠をぬけてそれぞれの現場へ出かけて行くことにつながっていきました。
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この「ナンの面の椅子」を作った後、私は山谷の日雇い労働者やホームレスの人たち、そして、心に闇を抱えた人の顔を作るようになっていきます。
1990年に、縁あって山谷労働者福祉会館建設(山谷の労働者によるセルフビルドの建物)に関わり、建物の看板を彫ったり、日雇労働者の顔を鬼瓦にして取り付けるという仕事をボランティアですることになりました。彼らは地べたで寝たり、道路に座り込んでお酒を飲んだり、地面に近い低い場所から世の中を見ている人たちです。 そこは悲しく辛い状況と底抜けの笑顔が同居している所でした。
山谷の仕事をし、その時の記録「鬼瓦私記録」を書いてからすぐに、なぜか周りの人から人生の中でおきた長い物語を聞く機会が多くなりました。そして人の心の光と闇に向き合い、それを作品として表現するという巡り合わせになっていきました。
「焔樹」 欅 h.150cm
「鳴(泣)いている鳥が飛びたつ時」 ステンドグラス h.45cm
「澄んだ光にほほえんでいる」 桂 h.100cm
(障害者支援施設 「カーサ・ミナノ」(都幾川木建HP)の廊下につけた彫刻の一部です)
「光のかけらをつないでは夢の塔を建ちあげる」h.35cm
(透明なガラスに彫ってある絵は、ミケランジェロのデッサン「瀕死の奴隷」)
社会の底辺も、人の心の深い底も、できることならば目をそむけていたいものではあります。でも、私たちは生まれてから死ぬまでの一生の間に、否が応にも様々な危機をむかえることがあります。
病に倒れた時、闘いに敗れた時、理不尽な不慮の事故に会ってしまった時、大事な人を亡くした時、年をとって仕事ができなくなった時、そういう時、今まで努力して積み上げてきたものがぬけがらに見え、自分が自分である証の、その魂の形をさぐりはじめる。あがくその姿が周囲の人間にとっては理解できないものであったとしても、本当はそういう時間の中にこそ、他の誰にも変わることのできない、その人の役割や使命を見つけ、新たな人生を歩んでいける大切なものが隠されているのではないかと思います。
目は心の鏡と言われ、私たちのまなざしは「心」から届き、外に現れます。喜びの経験も悲しみの経験も、すべての経験は、人の心をかたちづくり、他者に向けるまなざしと目線の方向を指し示してくれる貴いものだと思います。 これまで様々な場面で、暖かく深いまなざしをもった魅力的な方々にお会いしてこれたことは、私の宝です。
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水と光と音
こういう経緯を過ぎて、深い森の中から生まれてきた水の精…。’95年にはステンドグラスの光…。’96年に連日生まれてきた歌…。風が運んできた幾曲もの歌は、懸命に生きてきた人たちに、個人宛ての手紙として届けられたものでした。彫刻という形ある物を作る私になぜ音や光がやってきたのか、いったい自分に何がおこっているのか理解できず途方にくれましたが、その後、音の手紙は少しずつ少しずつ縁ある人に伝えられていきました。 (「越生の山と物語」in山猫軒 -音-)
形のないものも形のあるものも一緒に生きていて、時の川の流れの中で、それぞれの作品がそれぞれの人と出会い、交わっていけることは本当に有り難く仕合わせなことでした。心より感謝申し上げます。ありがとうございます。