今から五十?年前のお話です。あるところにお掃除が好きな中学一年生の女の子がいました。大好きなので、つい手が動いてまわりをきれいにしてしまいます。ある時、少女は学校の木造校舎の廊下を固く絞ったぞうきんできゅっきゅっきゅっきゅっと拭いてみました。そうしたらその10センチ四方ほどの廊下の床がピカピカになりました。
「わー、きれい」 と思ってお友達に教えてあげました。
「こうすると、こんなにぴかぴかになるよ。」
「うわー、ほんとだ。」
「いっしょにやろうよ。」
10センチ四方のぴかぴかの床は1メートル四方になりました。そうすると、そこに別のお友達がやってきました。
「こうすると、こんなにぴかぴかになるよ。」
「うわー、ほんとだ。」
「いっしょにやろうよ。」
そうやってお掃除の友達が増え、ぴかぴかの1メートル四方は2メートル四方になり、一本の廊下ぜんぶになり、そして他の廊下や教室もぴかぴかにきれいになっていきました。
やがて少女は大人になり、都幾川村にお嫁にきて、子供を育て、いろいろな経験をして、それからお蕎麦屋さんになりました。それがときがわ町西平にある「とき庵」さんです。
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一年ほど前に、ご近所さん数人とお茶を飲んでいて、その時いっしょにいた「とき庵」さんから、なにげにこのお掃除のお話をうかがいました。そして私も、小さいころから成長してくる過程で、勉強したり、働いたりしたたくさんの木造の建物のことをなつかしく思い出しました。
現在では床に塗る塗料は、ウレタン系、オイル系、ワックス系などたくさんの種類が出ていて床をぴかぴかに仕上げることは簡単なことです。でも昭和30年代、私たちが小学生のころはそういうものは身近にありませんでした。よく絞ったぞうきんをひたすらかけて、糠袋でみがくというのは上等な方です。モップという物もなかったので、自分の手が木の床に触れながら掃除するのは、どの家でも毎日の普通のことでした。
頭を下げ、床を這うような形で作業する雑巾がけは仏教の修行でもまず第一にすることのようです。そして昔は学校でも家でも、ぞうきんがけは子供もしなければならない生活の必須科目で、畳に手をついての挨拶とともに、それが日本の文化でもあったと思います。小さいころからせっかく先生や親からそういう習慣をつけてもらったというのに、私もいつのころからか横着になってきてしまいました。
とき庵の女将さんから、子供のころのお掃除のお話を伺い、24年前に店を開き、遠くからもわざわざ食べに行きたくなるような、行列ができるおいしいお蕎屋さんになっていったのも、腑に落ちる気がしました。
とき庵
埼玉県産の蕎麦を、その日の朝に製粉するという全粒粉の、美味しく味わい深い手打ち蕎麦で、鴨汁そば、きのこ蕎麦など、数種のメニューがあります。私は特に天もり蕎麦が好きで、地元の季節ごとの野菜や、春には山菜、秋には柿、いちじく、アケビなども使って、こだわりの油で揚げた、胃にもたれないおいしい天ぷらがついています。今度は何が入っているかなと、宝袋を開けるような気持ちになれるのが楽しみです。
とき庵で使われている器はほとんど、ときがわ町の弓立窯で作っている物だそうです。弓立窯の器は私も使っていますが、存在感もありながら、料理を引き立ててくれる美しい陶器です。
とき庵は、この土地に有るものや人を大切にしながら、おもてなしの心が料理にもしつらいにもあらわれている心暖まるお店だと思います。
全粒粉蕎麦 とき庵 Facebook ← 板前の息子さんが書いています。
「全粒粉蕎麦
お米でいうところの精米の過程をせず蕎麦の実1粒1粒無駄にせず、大切に挽き込みます。従って甘皮(1番香りと栄養価の高い)を多く身体に摂取できます。
ただし(全粒粉)製粉後は日持ちに掛けるので当日の朝に製粉しほぼお店がオープンしてから蕎麦をうって対応しています。」