隣り町の小川町駅から南の方角に歩いていくと、突き当ったところに素敵な古い民家が見えてきます。以前からここを通るたびに関心をもっていた建物でした。昨年6月にその場所で知人ご夫妻が「たまりんど」というコミュニティスペースを始めました。江戸時代に建てられた長屋を改修したこの建物で、木の住まいのこと、食のこと、エコ、エネルギーのこと等をテーマに、ギャラリー、イベント、教室として魅力的な活動をされています。
ここで昨年10月に、奈良の人形作家岡本道康さんの展覧会があり、「森のねんどの物語」まちをつくろうワークショップに参加してきました。このブログでお知らせしたいと思いながら遅くなってしまいましたが、それには訳がありました。人形のご紹介の後に、そのこともここで書いてみたいと思います。
出会うのを楽しみにしていた、みちやすさんの人形たちは、生き生きと豊かな表情をもって、老人と子供、動物、街などの姿を現したものでした。
吉野の割り箸工場から出るおが屑を利用し、みちやすさんが粘土製作の会社の方とともに試行錯誤を重ねて開発されたという、森の恵み「木ねんど」で作られています。驚くほど細かい部分まで表現でき、固まると丈夫な粘土です。
吉野からのたより「森のねんどの物語」 発行/(株)岡本電子
風のささやき
川面の鏡
ぼくの
おじいちゃんの
おじいさんが植えた木
じいちゃんが手入れした山
森の奥の小さなまち。暗くなってくると家の電気が灯り、電車が電子制御で動くようになっていて、まちを巡ります。 ♪ 写真をアップにして見ると楽しい ♪
耕運機で耕している人、お地蔵さんに手を合わせている人、ニワトリさん、窓辺を飾る小さな花、Ber、駅の階段、教会のステンドグラス・・・
まちをつくろうワークショップ
すでに木ねんどを使って用意されていた10cmほどのたまご形の台と小さな家がたくさんあって、自分で選びながらひとつずつ付けて町を作っていきました。木を作ったり、羊の親子を作ったり…。それは、以前経験したことのある箱庭療法のように、限られた場所の中に自分の世界を作っていくことのできる、心躍る時間でした。参加した他の方たちも、大人も子供もそれぞれの町や村の景色ができていって、とても楽しそうでした。
去年の10月11日の話をなぜ今ごろになって書いているのかというと、忙しかったせいもありましたが、それだけではありません。この展覧会を見に行った翌日に、あるニュース番組で、「五木寛之が語る『嫌老社会』」という特集を見て、そしてその本を読み、考え込んでしまったからでした。
「嫌老社会を超えて(五木寛之著) 」を読んで
日本の高齢化率は2005年から現在まで世界のトップを走り続けていて、現在では25%を超え、4人に一人が65歳以上の高齢者となっており、このまま続けば2060年には、2.5人に1人が65歳以上という、未曾有の少子高齢化社会が到来すると言われています。
「老人を嫌う社会の闇、生き抜く知恵と人間力」というサブタイトルがついたこの番組で、五木寛之はこう語っています。「今、日本が抱えている大きな問題は二つある。ひとつは使用済み核燃料をどう処理していくか。もうひとつは、高齢化した人々がむやみに増加していく中でおこる社会的矛盾をどう切り抜けていくかだと思います。」
また、「嫌老社会を超えて」という本では「若者奴隷時代-若肉老食社会の到来( 山野車輪作)」 というマンガを例に挙げるところから始まり、老人にかかる社会保障費をはじめとする経済的負担が若者の生活を圧迫し、老人を嫌う感情を生み出していることを伝えています。そしてこの希望の見えづらい国で人生の下山期をむかえた自分たち老人が、どう生きていったらいいのか、「何のために生きているのか」という根源的な問いかけをしています。
フリーペーパー「鶴と亀」
このホームページの中の「ひとつの眼」にも書きましたように、私は20代前半に祖母の介護を経験する中で、祖母の人生が表れた顔の表情を、何かの形で表現したいと思い、木彫を始めました。
長野の農家の、5人姉妹の4番目として生まれた私にとっては、祖母はいつも近くにいました。いっしょに田んぼや畑に行ったり、おやつを五つに分けてもらったり、昔話を聞きながら眠ったり、みちやすさんの人形たちと同じような環境の中で私は育ってきたと思います。
たまりんどの古い建物の中でファンタジーの世界のような、心暖まる老人とこどもの人形を見てきた直後に読んだショッキングなマンガの内容が、あまりにも落差がありすぎて当惑してしまいましたが、並行して別の面白い本とも出会いました。
長野県北部に飯山市という豪雪地帯があります。そこで生まれ育った20代の兄弟が大学卒業後地元に戻って作っている「鶴と亀」というフリーペーパーで、
「地方にいるイケてるじいちゃん、イケてるばあちゃんをスタイリッシュに発信」している無料の雑誌です。
数々の困難な経験をこえてきた田舎のじいちゃん、ばあちゃんのスタイルを「イケてる」「カッコイイ」と感じ、この閉塞していく社会を開いていく切り札にもして本を作っていて、それが多くの人の共感を得て、話題が話題を呼んでいるということが、私は本当に面白いと思いました。そして老人を嫌悪する若者と、イケてると感じる若者の違いはどこから生まれるのだろうかと考えました。
蓮のお花畑を見に行った時に私も立ち寄りましたが、この飯山市には正受庵(臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴の師であった正受老人の住まい)があり、昔から飯山仏壇と呼ばれる、伝統的工芸品としての仏壇の生産が有名なところです。また、高橋まゆみさんという創作人形作家が老人と子供のたくさんのなつかしい姿を製作されていて、高橋まゆみ人形館で見ることができます。
飯山の豪雪地帯の若者がこの雑誌を作ろうと発想する背景には、こうした先祖や家族のつながりを大切にする土地柄、農業や林業など助け合って働かなければ生きていけない厳しい自然環境も影響しているのではないかとも思います。
まちをつくろう
この「鶴と亀」という雑誌を知ったのは、最近近所に引っ越してきた若いお母さんがフェイスブックの中で「この本、ほしい~」と関心をもって紹介していたことからです。私も同じ様にほしい~と思い、さっそく長野市に住む妹に送ってもらったのでした。そこに載せられているたくさんの写真は、田舎ならどこにでもいる、私もよく知っているじいちゃん、ばあちゃんたちの姿です。それがどうカッコイイのかを解説しながら、若者のファッションにも応用できることなども紹介されています。
その本を見た後は、近所にいるじいちゃん、ばあちゃんたちが生き生きとかっこ良く見えてくるから不思議です。
少子高齢化、地方創生の時代の中で、私たちは自分が住む町や村をどう創っていくのかが問われています。飯山の若者が、厳しい自然のために住む人が減っていく自分の生まれ故郷に帰って、自分たちを育んでくれた祖父母をクローズアップし、その魂を継いでいこうとすることは、それも「まちをつくろう」としているのだと思いました。
そして、私は子供を産まない人生を選択し少子高齢化社会を促進させてきた一員でもあります。友人の中にもそれぞれの事情で一人暮らし、二人暮らしの人はたくさんいます。昨年還暦を迎え、これから自分が国民年金をもらう老人に近づきつつある今、私たちは縁のあった若い人やこどもたちに、ときがわの田舎に住むじいちゃんばあちゃんとして自分が経験してきたことの何を伝え、又、どういうふうにまちの未来をともにイメージしていけるだろうかと考えるようになってきました。
再生のしるし
岡本道康さんの人形たちも、山や里で長い間働き、自然とともに生きてきた人たちとその孫の姿や動物たちです。
子供は「7歳までは神のうち」と言われます。晩年を迎えた老人もまた、神様に近い存在だと思えるような場面に、これまで私は幾度か出会ってきました。体の機能を失っていく人のお世話は大変なことですが、瞬間ではあっても心が通じ合う珠玉の時間も与えられました。その時に握った手から伝わってきたもの、深い眼差しから受け継いだspiritは言葉にならずとも心の中にしみいり、道に迷った時、道を踏みはずしそうになった時には立ち現れて行くべき方向を指し示してくれました。
そして十九年前に、人生に疲れ果て、自分の体の半分は老人になり、半分は赤ちゃん返りして零歳からもういちど子供を生き直すという不思議神秘体験をしてきた私にとって、「老人と子供」は再生の象徴でもあります。その時間の中では、動物も植物も人形も人もみんなが生き生きとお話ししたり、笑ったり微笑んだりして、たくさんの命がつながっていました。
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森の木を大切に思う人の手でつくられた「森のねんど」と人形の物語に触れ、多くのことを考えさせられました。
お年寄りとこどもの人形たちは、いつもどこかで懐かしい気配をまといながら、私たちに未来への希望を静かに伝え、息づいていると思います。