本棚の位置替えのための整理をしていたら、都幾川村史資料 文化財編「石造物」という本が出てきました。購入した時以来、あまり開いていなかったので、どんなものが載っていたかとパラパラと見ていると、とても心に沁みる美しい文章に出会いました。
「道は生きている。道は人の歴史と共にある。我々が荷を背負い汗してのぼった道、悲しい涙を吸った道。笑いさざめきの聲を響かせた道、其の一角、一曲がりにも昔の遠い祖先からの深い思い出を秘めている。今この道が凡て面目を一新して林道として生まれ変わろうとしている … 」
昭和四十七年から別所-雲河原(くもがわら)間を林道として開設された経緯が石碑の裏に彫られているというものでした。この林道はどこにある道なんだろうと思っていると 「遠く関東平野を一望に収める風光明媚な…」 の言葉でふっと思い浮かんだ景色がありました。
田舎に暮らしながら運転免許証を持っていない私にはバスが頼りです。ときがわ町には通常の路線以外にデマンドバスが走っていて、幹線道からはずれた山の奥の方に住んでいる人も、予約すると自宅近くのデマンド用のバス停まで来てくれるようになっています。
最近、雲河原から病院に通うために乗るようになった女性がいらっしゃるので、バスはいつも通る県道から少し遠回りして山道を通り、町役場、せせらぎセンターの方に向かいます。途中に見晴らしの良い場所があって、この道を通るのが楽しみになっていました。それが「林道雲河原線」でした。
林道の入り口には雲河原の人によって植えられたという桜の木がたくさんあって、春になったらさぞかしきれいに咲くだろうと想像していました。
後日、日曜日に夫の車に乗せてもらって見に行ってきました。
別所の方から上っていくと、眼下に広がるきれいな景色が見えてきました。サイクリングのコースにもなっているようで、サイクリストも坂をこいでいきます。私も二十代の頃には、勤め先が休みの日には各地に輪行したり、会社を辞めてからは北海道一周自転車ひとり旅に出たりのサイクリストで、たくさんの道をひたすら走りました。
いっしょうけんめい坂を上る姿をなつかしく思いながら心の中でエールをおくります。
1975年、二十歳頃の写真.長野市から渋峠(標高2172m)、白根山へ
その日は良い天気で、遠くに東京スカイツリーや池袋新宿のビル群らしきものも見えていました。そこからもうちょっと上がった所に林道開設記念碑がありました。
碑文は次の言葉で終わっています。
「あれを思い、これを考える時、関係当局議会議員、地主等、多数の方々の御盡力に只管感謝あるのみである。茲に其の更概を誌し、我々の喜びと感謝を祖先に捧げ、子孫に傅えるものである。」
これまであたりまえに通っていたどの道にも、私たちは知ろうとしないだけで、本当はこういう歴史があるのかもしれません。
私たちは毎日、道を通ります。外出する時に歩く道路も、それぞれの人生の道も、仕事の上での修業の道も。いばらの道、道なき道を切り開いてきた先人、先祖の艱難辛苦と努力のはてに道は生まれ、時代とともに整備され、時には利害利権とからまりあいながら更に大きくなり、平らに均され舗装された道の上を自動車に乗ってあっという間に目的地に着く暮らしを、私たちはしています。
この碑文を書かれた方がどういう方なのかはわかりませんが、「道」というものの尊さを私たち子孫に伝えてくれる貴重な思いがこもっているように感じ、この林道に関わり、大切に守ってきた方たちの人柄が偲ばれました。
林道雲河原線 (別所-雲河原間)