再会 - 縁の網の「目に見えない糸」

 あわただしい年の瀬とおめでたいお正月もすぎ、日常の暮らしがもどってきました。 

 このアトリエ〈あゆす〉のホームページを始めて約一年、あまり広げようという気もなく、一日の訪問者が0~4人ほどの実にささやかなものですが、思いがけないうれしい再会がありました。

 昨年末ごろ、一本のメールと、沖縄からの一通のお手紙が届きました。お二方とも、今から三十年ほど前に、りんごの木で彫った髪飾りと人形を買っていただいた方でした。

 そのメールには、30年ほど前に私の作品をお求めいただき、とても気に入ってずっと使っていてくださったそうですが、その後インターネットで検索してもヒットせず、ご自分のブログ「elmaおばさんの小窓」http://elmablog.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-a9a3.html に載せ、やっとたどり着いたということを書かれていました。以前私が山谷労働者福祉会館の仕事をさせてもらった時に、その建物を設計した方の奥様が、なぜかたまたまそれを見て、教えて下さったとのことでした。

 記憶が不確かかもしれませんが、elmaおばさんのブログに載せられていたこの髪飾りは池袋西武デパートの6階にあった「アトリエヌーボー」か、西武新宿PePeの「せ・らーる」というギャラリーで個展をした際に出品していたものだったと思います。題名は「唄う女(ひと)」で、この髪飾りとは別に同じテーマで、歌っている人の顔が蓋になっている容器も出品しました。この頃には将来自分が歌をつくり、歌う人と深く関わる暮らしが待っているとはまったく想像したこともありませんでしたので、思いもかけないこのメールを、本当に感慨深く受け止めました。そして何十年も大切に使っていただいていたということを知り、しみじみと有り難いと思いました。

 沖縄からのお手紙 は八十八才の女性からでした。やはり30年以上前に、ご実家のある神戸に行った際に足をのばして倉敷に行き、そこで「りんごの木の人形」をお求めいただいたそうです。毎日、朝な夕なになでてかわいがっていて下さったそうですが、その後しばらくして家に泥棒に入られ、入れていた袋ごと盗まれてしまい、もういちど同じ店に行ってみたそうです。でもその時には、私がいそがしくなってしまっていて、店にはもう置いていませんでした。

 いつも娘さんと、そのなくなってしまった人形の話をしていて、探しても見つからず、最近インターネットで発見してくださったそうで、もういちど作ってはいただけないでしょうかというご依頼でした。 (材料が手に入ったら久しぶりに彫ってみようと思います。)

 

 その倉敷のお店は「アートギャラリー萌」といい、手のひらに包めるほどの大きさの、りんごの木を彫った人形とネックレスなどを委託販売してもらっていました。この写真はそのころのものですが、いろいろなしぐさの子供のかたちを彫っていました。 

 木彫を始めて2.3年して、私がKOBATAKE彫刻工房で勉強をしようと決心したのは25才の時です。その年齢で埼玉県の私立の彫刻の学校に4年間勉強に行くということには、両親は反対でしたので、自分で稼いで行くからと、頼み込んで入学金だけ出してもらい、学費、授業のための材料代、道具代、家賃を含めた生活費を、木を彫り、それを販売することで収入を得なければならないことになりました。木を彫る仕事は大きな喜びではありましたが、生活はあまりにも苦しく、授業に出る日を減らしていくしかなくなってしまったので、翌年からはもう一度父に頭を下げて頼み込んで学費だけは出してもらえることになりました。

 その間、彫った作品を置いてもらっていたお店が、倉敷の「萌」、安曇野のペンション「シャロム」、東京目白の創作人形の店「竹取物語」などで、西武デパートのクラフトの売り場では何度も実演販売や個展をさせていただき、多くの方に本当にお世話になりました。

 

 そのころのお客様で、今でも交流が続いている方も何人かはいますが、ほとんどは知らない方たちです。この度、お二人からご連絡いただき、今更ながら改めて思うのは、私の勉強と表現と生活は、縁あってお買い求めいただいたたくさんの人の想いにこんなふうに支えられていたんだなあということでした。私は今までお世話になったお店やギャラリーにもお客様にも感謝はしていましたが、食っていくだけでせいいっぱい、自分ががんばった仕事の実績という思いが強く、たまたま一度だけ買っていただいた方やお会いしたことのない人のことにはあまり心を寄せることがありませんでした。でも本当は、こうしてまがりなりにも自分が望んだ道を生きてこれたのは、多くの困難や試練があったとは言え、普通ではあり得ないほどの有り難いことだったのではないかと今は思います。

 

 縁の網は、意識を超えたところで目に見えない糸でつながっていて、時が満ちると、こうやって30年以上もたってから再び浮上してきて、心に触れて、貴重な気づきをもたらしてくれるものなのかもしれないと思いました